『PCゲーム音楽の歴史(1) PCゲーム音楽の誕生からPC98時代』からの続き。

 Windows95発売以降もしばらくの間はPC98でのゲームリリースが続いていましたが、爆発的な普及に伴って、ゲームもWindows依存のものへと移行してゆきました。

 ここで大きく変わった点はいくつもあります。ひとつは供給媒体が完全にフロッピーディスクからCD-ROMへと移行したこと。98末期には、1M半程度のフロッピー数枚では容量が足りず、10枚組以上というのが多数存在しました・しかしCD-ROMの640Mというものは、それを一気に解消してくれる大容量だったのです。これはWindows95が主にCD-ROMとして発売されていたことから、Windows95でならCDーROMで作品を供給しても大丈夫だという判断からでしょう(ちなみにPC98後期から、CD-ROMでのソフト販売はされていました)。
 もうひとつは、HDDへのインストールというものが浸透したこと。とはいっても、当時のパソコンのHDD容量は1Gあればそれなりに大容量と言われていた時代ですから、インストールするのもせいぜい数十M程度でした。では何故、今よりもそんな少ししか容量を食わなかったかというと、画像が少なく、且つ一枚一枚も色数が少なく、フォーマットのjpegなどの軽いもので容量を食わなかったのがひとつ。そしてもうひとつは、音声データをハードディスクにインストールしていなかったからです。
 では、音楽データはどこに保存していたのか、それはCD-DAが使われていたのです。

 コンシューマゲームでも、PCエンジンやサターンの時代には、それを音楽CDと同じようにプレイヤーで再生できるものがあります。それは現在の一般的な音楽CDと同じようにCD-DAという方法で音声データをCD-ROMに収録しているわけですが、それをPCゲームでも採用していたのです。よって当時のゲームはプレイをするときにCDドライブにCDを入れたままでプレイして、必要なところでCDが再生されて音楽が鳴るという感じでした(相性が悪いと、それが再生されないで音楽が鳴らないなんてことも多くありましたが)。
 ちなみに今では当たり前のように使われているキャラクターボイスも、当時はないのが当然で、あってもパートボイスといって部分的に使われるものも多数ありました。

 さて、今まではそのハードの音源だよりだった音楽が、ここにきて外部で作曲した音を収録することが出来るようになったのです。コンシューマで言えば、内部の音源で鳴らしていたスーパーファミコンから、音楽を収録したPSやSSなどCD-ROM媒体に変わったときと同じような感じです。しかしながら、やはり容量はCD1枚分なので、mp3など圧縮した音声ファイルを使っていたため、音質は微妙に劣っていたでしょう。ただ、内部音源からの解放というのは、ゲーム音楽にとって(あとから考えれば良い面も悪い面もありますが)革命的な出来事でした。

 しかしながら、当時も(ある意味98時代から引き続き)音楽を重視するメーカーはあまり存在せず、とりあえず流れていればいい、というものが多数だったように思えます。よって、音楽環境が進化しても、それを担当するのはプロではなく、DTMの作曲家が兼業としてやる場合が多かったようです(今でもそうですが、作曲する人を雇っているブランドは少数)。しかし、98時代にそんな環境から名曲が生まれたように、ここからも名曲が生まれてゆきます。
 
 まず、Windows時代に『雫』『痕』『ToHeart』のビジュアルノベル3部作でブームを引き起こしたのがLeafですが、このブランドでは音楽もかなり高い評価を受けます。ちなみに『White Album』は、私が今でもギャルゲーの中で五指に入るくらいの名曲揃いのゲームだと思います。
 そしてこの時期からインターネットが少しずつ普及し始め、PCゲームのプレイヤーはその環境がすでにPCを持っているために整いやすいというとことから、ネットでmidi、BM98のゲームの音楽をもとにしたアレンジ二次創作が作られるようになります。

 この頃からPCギャルゲー=アドベンチャーという公式になってしまいますが、アドベンチャーはシナリオと絵、そして音楽という単純なパーツで構成される分、音楽の比重が高くなってきたが故に、音楽の評価も集まるようになったのかもしれません。

 ちなみに、一般PCゲームはネット普及前の冬の時代となっていたけど、ここではまだログインなどに紹介される作品があり、市場があったというのも付け加えておきましょう。

 さて、長くなってきたのでここでいったん区切ります。次はPCゲーム音楽の歴史が大成してくる2000年あたりの音楽事情でも。
 G.M. Analysism2さんの『GMアルバムの歴史』シリーズに影響を受けたのと、OTSU #2に行ってきたのもあって、ここでPCゲームの歴史について軽くまとめてみようかなと思います。本家でやってもよかったのですが、1回でまとめきれないのと、後半はアダルトゲーム関連になるのでこっちでやることにします。
 ちなみに後期はともかく、Windows以前の時代は弱いので、あまり深く掘り下げられませんが、補足してくださるならコメントでもトラバでも。

 ではまず、今日は日本においてPCゲームの音楽という概念が誕生した時代から、PC98最盛期まで(このへん弱いので、調べながら書いてます)。

 日本で「パソコンゲーム」という概念が生まれた時期は諸説分かれるでしょうが、以外と古いと思います。1981年にはすでに光栄が『川中島の合戦』を出していますし、チャンピオンソフト(現在のアリスソフト)も1983年から活動を始めています。ですので一般的には1980年代前半とするみたいです。当時は、エニックスやハドソンがPCでゲームをリリースしていた時期でもありますし、パソコンショップ高知や現在は小売りである九十九電機からもリリースされていたりしました。しかし、当時のパソコンには今のように必ず音源が積まれているわけではなく、また音が鳴ったとしても必ずしもゲームと環境が合うとも限りませんでした。それ故、音はあくまでおまけ的なものとされていた感じです。故に『ポートピア連続殺人事件』みたいに、SEのみなんてゲームも多かったでしょう。

 ちなみに当時の仕様は、フロッピーディスクから読み込むタイプのものが主で、まだCDなどの光学媒体はおろか、ハードディスクへのインストールも一般的ではありませんでした。故に音楽は現在のようにWAVデータをまるまる再生するなんて夢のまた夢であり、プログラムでハードが持っている音を命令によって鳴らしていたということを付け加えておきます(これはPC-98時代の終わりまで続きます)。

 では、ゲームの音が音楽として意識され始めたのはいつごろか。おそらくは1980年代中盤のゲームアーツ作品(『テグザー』1985年、『シルフィード』1986年)や、日本ファルコム作品(『ザナドゥ』1985年、『イース』1987年)あたりではないでしょうか。特に『イース』シリーズにおける古代祐三さんの作成した曲は、今でも代表的な名曲と言われるほどです。おそらくはこの『イース』が、PCゲームにおける音楽の大成と言ってもよいのではないでしょうか。

 しかし、時代が1990年代前後になると家庭用ゲームハードが普及し、同時にソフトメーカーにもファミコンをはじめとするコンシューマハード向けへの転身(光栄、ハドソン、エニックス等)が進んだために、一般的なパソコンゲームは減少します。その代わり台頭してきたのが、コンシューマハードでは発売できない、いわゆるアダルトゲームが目立ち始めるようになります。先日のチャンピオンソフトも「アリスソフト」としてアダルト方面での活動が主となります。
 1990年代は、ハードが、というか(アダルト)ゲームをするハードが「国民機」と言われたPC-98にほぼ絞られるようになります。しかし、ここでも音楽は絶対に聴ける環境というわけではありませんでした。ですが、前述の流れ及びコンシューマでのゲーム音楽の認識が高まってきたこともあり、音楽にも重点が置かれるようになります。ただし、ここでもPCにおいて仕様的にそのゲームに収録されている音楽が絶対聴ける環境ではありませんでした。

 しかし、エルフ、アリスソフト、シーズウェアといったブランドの作品が人気を博してくるにつれて、それの作曲者にも注目が当たり始めるようになります。代表的なのは、アリスソフトの『ランス』シリーズにおける雷丸氏、シーズウェアの『EVE』やエルフ『YU-NO』における梅本竜氏でしょう。
 このころのゲーム雑誌(ログインや硬派な頃のコンプティーク)を見てみると、「ゲームのためにサウンド環境への投資」(FM音源ボード)というものが見られるようになります。


 そして1995年にWindows95発売。この使いやすさのために、PCが一般的に普及し始めます。そして次第にゲームもWindows対応のものに移行してゆきます。そこでPCゲーム音楽も大きく変わってゆきます。

 続きはまた次回。